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食の新潟国際賞

受賞者メッセージ

受賞の言葉(各受賞者の職名は受賞当時のものです)
大賞:ジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ 氏
国際連合食糧農業機関(FAO) 前事務局長
ゼロハンガー研究所 所長

この度は、食の新潟国際賞財団から第7回食の新潟国際賞をいただき、大変光栄に思います。
2015年以降、飢餓は増加の一途をたどっていますが、飢餓撲滅のための私の努力が評価されたものと考えています。
皮肉なことに、この年は国連が17の持続可能な開発目標(SDGs)に合意した年で、その2番目に飢餓とあらゆる形態の栄養不良を根絶し、農業の持続可能な発展を促進することが掲げられています。
私の願いは、私が生きている間に、世界が飢餓撲滅の軌道に乗ることです。
特にアフリカとラテンアメリカでは、進行中の経済危機が飢餓に変わることを懸念しています。
今回、私に賞が授与されたことで、多くの人がこのような取り組みに参加するきっかけになればと願っています。

大賞:中村 丁次 氏
神奈川県立保健福祉大学 学長
公益社団法人日本栄養士会 代表理事・会長

皆様、今日は、この度食の新潟国際賞の大学に選考をいただき本当にありがとうございました。
日本には栄養学の関係者は何十万人、何百万人とおりますが、その栄養関係者を代表して心から感謝申し上げます。
ご存じのようにSDGsが国連において採択され、栄養の役割がガラッと変わりつつあります。
従来、栄養というものは飢餓、疾病予防という役割でしたが、栄養状況が悪いと教育レベルが低くなる、そして栄養が改善されると労働生産があがり、賃金も上がる、そしてジェンダー問題にも関係してくる、加えて環境問題にも関係するという、栄養の多様的な重要性が認識されてまいりました。
ところで、明治時代以降、栄養学を導入して、食の近代化や欧米化を図り、従来の日本人の平均寿命が50歳代から、栄養学導入することで栄養状態を良くし寿命のばしました。一時、戦後間もない頃、食糧不足に陥りました。
実はこの状況下で栄養士という栄養の専門職が誕生します。
そこで学校給食が始まり、病院給食、企業の給食施設等に栄養の専門職を置くというと世界にまれにみる仕組みを作りました。
日本は小学校6年間、健康な食事を食べて、栄養の教育を受けるという仕組み、食べながら栄養教育を受けるという豊かな食生活を送ることができ、日本にはあまり肥満者が出ませんでした。
そして世界一の長寿国を維持しMade in JAPANという製品を作り、栄養状態が健康であるという基礎があったからです。
日本に栄養学が開かれて100年になります。その輝かしい100年の総決算として食の新潟国際賞を受賞することは光栄で、栄養学を取りあげていただいたことは、本当に歴史的に意義のあることで感謝申し上げたい。

佐野藤三郎特別賞:中山 輝也 氏
株式会社キタック 代表取締役会長

今回の受賞は考えても見なかったことで本当に驚きでした。
私の受賞は他の受賞者とは少し違ったものと思います。
佐野藤三郎さんのお誘いを受けて技術専門家として中国三江平原開発に関わり、長い時間共に過ごすことで多くの助言をいただき、まさに人生の師に巡りあった感じがしました。
佐野さんは偉そうな顔をするわけでもなく、私は媚びることなく、ごく自然にお付き合いし時間は過ぎましたが、これまで中国辺境のインフラ整備、環境整備、農地保全や植林などの技術交流を地道に続けてまいりました。
その実績がさらに北東アジアとの交流に進みました。
例えば韓国の技術士達と北朝鮮の図們江開発の合同考察団、ロシアとの技術交流、最近ではモンゴルに移り、道路排水、技術、ゴビ砂漠の緑化について企業支援も行っております。
砂漠の緑化では多くは政府と組んで、大勢で苗木を植樹して水をかけて帰国します。
そうして2、3年たつと全て枯れてしまう。水の切れ目が縁の切れ目とでも言いますか。そうしたことの無いよう深いところに現地に合った種子をまき、それを育成しながら、今年十年目に入りようやく軌道に乗ってきました。
また、東南アジアの農業や環境技術移転にも協力し、主に農業関係、環境が中心です。三江平原の考察団に参加したことにより、技術家として環日本海において新潟が拠点としての地位が守られるようささやかながら努力してゆきたいと思います。
今後もたゆまぬ努力と活動をお誓い申し上げて、この度の受賞に御礼を申し上げたいと思います。

21世紀希望賞:齋藤 和樹 氏
アフリカライスセンター 主席研究員

私は西アフリカのコートジボアールという国のアフリカライスセンターで2006年から研究員として働いております。
この度第7回食の新潟国際賞の21世紀希望賞を受賞し大変光栄に思います。
また、推薦頂いた国際農林水産業研究センター(JIRCAS)岩永特別顧問、私をこの研究に導いてくれた恩師の堀江先生、ご指導をいただいた先生方、加えて、私を支えてくれた家族に感謝したいと思います。
今回の受賞は20年間の研究成果が評価されたものと考えております。
実は新潟は私の故郷でして、私の両親の作ってくれた米を食べて育ちました。
私が育ったこの地でこのような名誉ある賞を受賞しましたことを光栄に思います。
この受賞は食糧危機に面しているラオスやアフリカの稲作の問題を作物学的、栽培学的な見地から問題を解決しようと20年間続けてきた研究開発の内容と活動、その成果を評価して下さったと思います。
私達の開発が技術的にはまだアフリカの一部の人達にしか届いておりません。
今回の受賞を契機に引き続き農業開発、技術開発を行い、アフリカの持続的な食糧生産と供給に貢献してゆきたいと思います。

地域未来賞:伊藤 親臣 氏
株式会社 SnowBiz 代表取締役

この度は第7回食の新潟国際賞の地域未来賞を受賞させたいただき誠に光栄に存じます。
私はほぼ雪の降らない愛知県出身ですが、北海道の大学で雪の冷たさに着目した、雪冷房システムの研究に取り組んでまいりました。
その後、2000年に安塚町(現在の上越市)の雪だるま財団に研究員として勤務し、雪を暮らしに生かせる研究をせよということ指示で研究してまいりました。
当時、雪はエネルギーとしての認知度は低く、氷室型、かまくら型とか雪の利用方法は雪の定量的な安定的な利用方法として熱交換という研究を行ってまいりました。
そんな折、東日本大震災が発生し、再度、再生可能なエネルギーへの注目が高まり、雪室は古くから雪国に伝わるエコな冷蔵庫であり、食品の鮮度を保ち、熟成による食味の向上が期待できる特殊な構造です。
今、雪国各地で差別化、ブランド化の取り組みが始まっております。
私は雪室を活用した食のブランド化を広げ、新潟の食品に限らず、世界中の食品の雪室ブランドで高付加価値化に寄与したいと考えております。
いつか、雪の力を使って、社会貢献がしたいそんな思いから、2019年に㈱Snowbizを立ち上げました。
差別化、ブランド化の取り組みが、現在気候変動に伴う自然災害のリスクや脱炭素化を見据えた地方分散型の社会構築が求められています。
このような社会情勢の中、雪室は大規模な停電が発生しても安定して低温に貯蔵することができます。
食料備蓄倉庫や医薬品の保菅等への応用が期待されております。
近い将来、雪を経済活動に導く利雪型冷熱産業が雪国か日本を元気にする牽引するエンジンになると信じています。
最後にこのような名誉ある賞をいただいたのは私一人の業績でなく、研究を支えてくれた仲間や元気に生んでくれた両親、皆様の支えがあって今日があると思います。
今回の受賞誠にありがとうございました。