「百の魚」を与えるより、「釣り針と釣り糸の使い方」これが食育 ~食育のこれから
評議員 服部 幸應 ((学)服部学園理事長)
食育がだいぶ知られてきたようです。しかし、食育というと一般的には「親子料理教室」か「農業体験」ではないのかと答えが返ってきました。
平成17年7月15日に施行された「食育基本法」は、現在内閣府の「食育推進基本計画」(平成18年~平成22年の5ヶ年計画)の目標数値の75%程達成できてきたのですが、食育とは何かがまでは一般的に知られていないような気がするのです。そこで、食を通じた人間教育すなわち食育の本質に触れてみたいと思います。それには、親が大きな役目を果たすことになります。動物界をみてみると、親の役目は、一言でいうと、子どもを独りで生きていけるようにすることなのです。それは、地球上のすべての動物に当てはまります。
例えばライオンは、子どもが幼いうちは獲ってきたシマウマなどの肉を与えていますが、ある程度成長すると、母親は子どもを猟に連れて行きます。そこで狩りのテクニックを教え、自分で餌を確保できるようになると、親は子どもを一人前として扱い、親のテリトリーから追い出してしまいます。このように親が子どもを独り立ちできるように育てあげるのは、当然の本能であり動物界では当たり前のことです。
ところが、今の家庭の中では、子どもを独り立ちさせるための躾ができていない親が多いように思います。ライオンに例えれば、餌は与えられても、獲り方をきちんと教えていないようなもの。これでは独り立ちできない若者が増えてくるのも当然で、自分一人では生きてゆけないのです。ニートやパラサイトシングルの増加も、これと関係しているのではないでしょうか。食卓で家族から教えられる一般常識こそが、その後の人生を決定づける力になるはずです。食卓での躾は8歳を過ぎてからでは遅いのです。
日本の教育の三本柱「知育」・「道徳」・「体育」の基本として「食育」が不可欠な理由は、幼児の頃までに全てが確立するからです。
社会でいう大海に、いずれ小舟を漕ぎ出す子どもに与えるべきは、「100匹の魚を与えるよりも釣り針と釣り糸の使い方」を教える事なのです。
それが家庭での親の役目であり、一般常識を弁えた大人になるための教育。すなわち「食育」なのです。