佐野藤三郎

佐野藤三郎物語 ~大地に夢を追い続けて~

佐野藤三郎は新潟の農業と街づくり、
国際交流などで抜群のリーダーシップを発揮した「傑物」です。
世界の食糧問題と環境問題の解決を念頭に、
農業による地域と世界への貢献を追求し、
より良い未来像を追い求め続けました。
その人柄と業績、追い続けた夢を紹介します。

新潟市名誉市民章の授与 新潟市名誉市民章の授与

新潟市名誉市民
佐野藤三郎

佐野藤三郎は亀田郷土地改良区の理事長を約40年間勤めた人物です。力強い指導力と飾らぬ人間性で培った人脈により、「芦沼」と呼ばれた亀田郷の過酷な泥田の乾田化を成し遂げました。また、急速な都市化の中で都市と農村の共存・発展を実現し新潟市のまちづくりにも貢献しました。

さらに、中国政府の要請に応じて三江平原(さんこうへいげん)の農業開発に尽力し、新潟の国際交流を推進することで、人口が急増する世界の食糧供給や環境問題の解決を目指しました。「亀田郷には佐野藤三郎という傑物がいる」と高く評されましたが、現職の理事長のまま突然倒れ70歳で逝去。その後、生誕100年を機に改めて業績が強く再認識され、2024年に新潟市名誉市民に決定しました。

新潟市名誉市民 佐野藤三郎

佐野藤三郎の人生やその中にある苦難や功績が分かる動画「新潟市名誉市民 佐野藤三郎 〜大地に夢を追い続けて〜」。
ぜひご覧ください。※企画・監修 (公財)食の新潟国際賞財団

農業分野での功績

01

佐野藤三郎は「芦沼」と呼ばれ腰まで水に浸る泥田を、土地改良事業により日本有数の穀倉地帯に変え農業の発展に大きな功績を残しました。新潟地震からの復興では、親松排水機場の新設等に尽力。海水面より低い土地が広がる新潟市の安心安全の確保に多大な貢献をしました。

農地の写真

まちづくりへの功績

02

急速な都市化で農地転用が急増する中、佐野藤三郎は土地利用計画の策定や調整を担う「亀田郷地域センター」を設立。都市と農業が健全に調和と発展する地域づくりを進めました。この理念は「鳥屋野潟南部開発計画」に継承され、まちづくりにも大きな影響を与えました。

まちづくりへの功績

国際交流への功績

03

佐野藤三郎は中国政府から黒竜江省に広がる三江平原の農業開発への協力要請を受け、積極的に協力し竜頭橋ダム建設へ日本のODA実現に奔走。「新潟県日中友好協会」を設立し環日本海の経済交流の促進を図り、国際交流の先駆者として大きな貢献をしました。

国際交流への功績

佐野藤三郎の軌跡

1923
(大正 12)

誕生から終戦へ

1923(大正12)年に中蒲原郡石山村の小作農家に誕生。尋常高等小学校を卒業し鉄道省(旧国鉄)新潟操車場に勤務。1943年海軍に応召。乗船した軍艦が攻撃を受け沈没し九死に一生を得て終戦を迎えました。

海軍へ入隊

1955
(昭和 30)

農民運動を経て理事長就任

戦後、農民運動に参加し全国最年少で新潟市農地委員に。1955年(昭和30)には32歳の若さで亀田郷土地改良区の理事長に就任。膨大な借金問題の解決に奔走し、当時の大蔵省や農林省に人脈を築きました。

農民運動を経て理事長就任

1964
(昭和 39)

新潟地震からの復興

1964年(昭和39)に新潟地震で甚大な被害が発生。農業基盤の復旧に全力を尽くし、機能が著しく低下した栗ノ木排水機場に代わる、新たな親松排水機場の建設を推進。1968年(昭和43)に竣工しました。

新潟地震からの復興

1975
(昭和 50)

亀田郷地域センターの設立

新潟市都市計画審議委員に。急激な都市化により農村と都市の共存を目指して青木委員会を設置し、亀田郷総合計画を推進する際に1975年(昭和50)に㈶亀田郷地域センターを設立。同年には新潟市都市計画審議会の会長に就任しました。

亀田郷地域センターの設立

1978
(昭和 53)

中国との国際交流を推進

1978年(昭和53)に第二次亀田郷訪中団団長として北京を訪問した際、中国から三江平原農業開発計画への協力要請を受け、視察団を派遣し積極的に対応。新潟県日中友好協会を設立し、初代会長に就任しました。その後、新潟の国際交流の推進役として活躍。

中国との国際交流を推進

1989
(平成元)

未来の農業への夢

1989年(平成元)に「未来農業を考える会」を主宰。減反政策を批判し、米を作ることで農業の未来打開を訴えました。アグロポリス構想や国際農業研究センター構想など、世界の食糧・環境問題等の解決を念頭に、新潟からの情報発信プロジェクトを提言しました。

未来の農業への夢

1994
(平成 6)

道半ばでの急逝、竜頭橋ダムは竣工

1994年(平成6)3月に農林水産大臣賞(ダイヤモンド賞)を受賞した同夜、東京のホテルで突然倒れ急逝しました。同年、第4次円借款が中国・竜頭橋ダム建設に供与決定。2002年(平成14)には、念願の三江平原・竜頭橋ダムは竣工しました。

道半ばでの急逝、竜頭橋ダムは竣工

中国・黒竜江省三江平原への
農業開発への協力

中国は建国直後から食料増産が大きな課題でした。
そうした中、亀田郷の泥田農業からの克服記録映画を見た中国政府から、
佐野藤三郎は三江平原の農業開発協力要請を受け、実現のために奔走しました。

まんが にいがた偉人伝
佐野藤三郎

佐野藤三郎の業績を多くの人に知っていただくため、その活躍を分かりやすくまとめた「まんがにいがた偉人伝 佐野藤三郎」。ぜひ一読ください。

※企画・監修 (公財)食の新潟国際賞財団

にいがた偉人伝 佐野藤三郎

関連団体

佐野藤三郎記念「食の新潟国際賞」を運営 公益財団法人 食の新潟国際賞財団

佐野藤三郎記念「食の新潟国際賞」を運営
公益財団法人 食の新潟国際賞財団

食の新潟国際賞は、食の課題解決に挑戦する国内外の人々を表彰する国際賞で、農業や食品産業の隆盛を築いた新潟の先人の志を継承し、新潟から世界への貢献を目的に2010年にスタートしました。

佐野藤三郎が約40年間理事長を務めた「亀田郷土地改良区」

佐野藤三郎が約40年間理事長を務めた
「亀田郷土地改良区」

佐野藤三郎が生まれた石山村は亀田郷地域にあり、亀田郷にある土地改良区が「亀田郷土地改良区」です。佐野藤三郎は、1955年に32歳で理事長に就任しました。その後約40年間理事長を務めました。